Column いえズーム コラム

編集部マルキタのマイホーム獲得奮戦記 第1回@生まれて育った家

「住宅新聞さん?いい家をいっぱい見ていてうらやましいわねぇ」 札幌良い住宅で取材していると、お客さまによく言われる。

■はじめに


確かに、取材を通して素敵な家をいっぱい見ましたよ。でも、「よし、オレはこんな家建てるぞ」というふうにはならない。やはり現実というものがある。そう、予算が準備できないことには・・・いや、ほかにもいろいろ理由はあるけれど。それでも、家を建てたいという気持ちは心の底にある。

そこで、不定期で戸建てマイホーム獲得!?までの奮戦記を掲載する。獲得できるかどうかはまだわからないのだけれど。

まずは自分がこれまで住んできた住宅の話を少し。アパート仮住まいも含めると、編集部マルキタの住宅遍歴は9軒を数える。それぞれの体験や思い出が、自分のなりの住宅観を作ってきたことは間違いない。


■生まれたときは2DK


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私が生まれ育ったのは大阪府の某衛星都市。生まれた当時である昭和40年代前半の写真を見ると、まだまわりには田んぼが点在し、少し長閑な雰囲気もあった。戸建だったがほとんど棟続きの長屋のような家だった。「2DK」なんて言葉を覚えたのは小学校に入る前か入った頃か。母親が「2DKは狭いワァ~」と愚痴っていたのを聞いて覚えたような気がする・・

ご飯を食べるにもダイニングテーブルなんてものはなく、たぶんコタツを夏冬使っていたのではなかろうか。冬はもちろんコタツ布団を使い、夏は布団を取り払ってテーブル部のみで。メラミンの安っぽい木目模様が懐かしい記憶だ。

ダイニングキッチンといっても6畳ぐらいしかなく、まだ私は小さかったこともあって個室はなかったように思う。それでも風呂は家にあったから、新築間もない頃に入居した借家だったもしれない。

小さな家でも、庭は少しばかりあった。隣人も含め、みな競って花を植え、井戸端会議の話題にもなった。

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さて、家から持ってきた昭和40年代前半の写真をじっと見てみた。小さな平屋でも、外構まで造ってあるし、きっと入居した当初は父母とも嬉しかったに違いない。そして、覚えていたこの住所をGoogleストリートビューで探すと驚きの光景が(一番下の写真参照)。

「まだ残ってる」
そう、現在は築50年近いと思われるこの貸家がまだ残っているのだ。おそらく、向かって一番左の家がそうだと思う。

大家さんの家はいつの間にか賃貸マンションに変身しているが、この3軒だけは時代に取り残されたかのようにたたずんでいた。赤い瓦も健在だ。



■自分の部屋が与えられた3DK


小学校の頃、父親の転勤で静岡に移り住んだ。平屋建ての長屋だったが、ここは部屋が1つ増えて3DKになった。母親も喜んでいた(笑)



GoogleMap_osaka.jpg自分の部屋も与えられたが、裏は田んぼで梅雨時になるとウシガエルの大合唱が夜じゅう響いてうるさかった。


2年半ほどで早くも京都に転勤になり、あまり思い出は残らなかった。


・・・ということで今回はこれにて終了。

次回は京都の住宅と、父親がはじめてマイホームを購入した時の話を。



2011年07月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。