エラそうな事が言えるほど、ライター、編集者としての力は無いのですが、それでも20年近くライターと編集をやってきて、どこに壁があるのか自分なりに整理できる気もするので、以下、まとめました。独断と偏見に満ちているおそれありますので参考程度に呼んでいただければ幸いです。
20年の些細な歩み
20代の頃は取材で見聞きしたことをずらずら文章にしていました。この頃は、会社の期待に添って書くべきものを書いて評価されたい・・でした。
30代になって媒体のディレクションを学びました。この頃は、苦しい残業と休日出勤の繰り返しの中でも、自分の担当媒体が取引先や上司、読者の評価を得ることが喜びであり支えであり、同僚がばたばた退職していったことにやさぐれていた時期でもありました。
40代になって、一から媒体を作る、読者を増やし収益を上げる、ちゃんと読者に伝わって、読者に良い行動を促すために何をすべきかを中心に考えるようになりました。webに真剣に関わったのは30代後半から。
最近では・・・・
札幌良い住宅jp https://www.iesu.co.jp/ghs/
自治体向け政策情報紙を創刊号から受託編集。
市民団体るるる♪キッチンガーデンくらぶ http://rkgc.jp/ の創設。
「何もないところから意味あるものを作る」が生き甲斐です。
書いた記事がゴミなのか良い記事か
営業職なら売れたかどうか。製造業なら品質と仕上げた数量が良ければ仕事の評価も高いでしょう。わりと自己評価と客観評価が近い職種も多いのでは無いかと思います。
ところが私も含むライターの場合、取材し、資料を読み、知識を総動員して必死に書き上げたその原稿=自己評価の高い原稿が、読者や発行元、上司、編集者にとって、1分もしないうちに価値のあるなしが白黒付いてしまうようなところがあります。最善の書き方が別にあるということに一瞬で気づいてしまう。苦労しても価値がない、別の人はもっと良い文章を書けるという場合があるのです。
こう書けば無難、及第点だというパターンがある、ワンテーマで書けばok、取材に行く前から取材先の商品の美味しさを褒め散らかせば良い、と決まっているといった媒体やページの場合はまだ楽です。
その通りやればいいわけで、どんなライターでもそこそこ書けるようにある意味仕組まれているからです。ある意味創作力がほとんどなくてもできる原稿もあるのがこの業界の救いではあります。逆にそういう媒体の仕事だけを請け負っていると、一から考える経験は得られないかもしれません。
ベテランだろうが若手だろうが、得意分野だろうが初めて取材した分野だろうが関係なくダメなものはダメ。そのことを宣告される側もする側も時に深く傷つきます。私はどっちも体験していろんな思い出があります。私自身、ダメな理由を説明されても自分の文章の出来の悪さを自覚できない場合や、時にはダメ出しした人の方が間違っているのではないかというような思いにとらわれたこともあります。そんなに直すんなら正しい書き方を最初に示せと憤慨したこともあります。それも一理ありますが。取材者が脳を総動員し、構築するところをやってこそ、という媒体もあります。
逆に、自信を持って提出してもらったものをこちらがチェックする側に立った時。ああ・・ここをこういう筋書きで書いた方が断然いいのに、とか、ここをこんなに書きまくる必要はないのに、とか、なんでこんな雰囲気でごまかすようないい加減な書き方しているんだ、とか、こんな書き出しでは読者は読む気しないだろ、取材したアナタは事情がよく分かっているからこの文章で読者は理解するだろうと思うんだろうが、読者は全然わかんないよ、とか、取材して聞いてきたことを順に書いているだけ、自分が面白いと思った、あるいは書きやすいと思ったところばかり書いているが、肝はそこじゃないとか・・・。そういうことは、チェックする側が優秀だから、ということばかりでなく、書いている本人以外はよく分かる、といった面があるのです。
世の中に出回っている様々な原稿も、それは本人や上司、編集者がそれでokを出しただけであって、不出来な場合もたくさんあるのです。私も今、そこで苦しんでいますが、そこをスルーせず戦えているだけまだマシかなとも思います。
私にはほかにも一杯課題があります。チャレンジしてないが故に、苦手部分もあります。自力でwebサイト構築できない、イラストが書けない、誰かに自分の仕事を任せて自分は次に向かうことができていない、仕事のために家族との時間を削っていること等々・・・
さあ、明日からもっとマシになれるように頑張ります。
2014年04月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。