Column いえズーム コラム

この本がオススメ#1 明治・昭和に襲った大津波の貴重な証言

1896年、1933年と三陸地方を繰り返し襲った大津波。昔の人たちは津波とどう向き合ったのか。今から40年以上前にその生存者に聞き書きを行った貴重な記録書を読みました。東日本大震災後、完全に品切れになるほど売れた本です。

2011年3月11日午後2時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0(正確にはモーメント・マグニチュード)の巨大地震が発生しました。死者・行方不明者合わせて2万人以上という関東大震災以来の犠牲者を出す惨事となりました。

三陸地方は過去たびたび大津波に襲われてきました。これまで三陸地方の人たちは津波とどう向き合ってきたのでしょうか。

marukita_sanriku.jpg「三陸海岸大津波」(文春文庫)は、明治、昭和に三陸海岸を襲った大津波について、小説家の吉村昭氏(1927-2006)が実際に津波を経験した人たちへの聞き書きを元に書いた貴重なドキュメンタリーです。今回、品切れだったのがようやく重版となり、手に入りました。

明治に50mの大津波?

この本を読んでまず驚いたのは、明治三陸地震の話。津波の遡上高が推定50mあったのではないか、という記述です。岩手県・田野畑村に住んでいた古老の話によると、標高50mにある自分の家まで津波が押し寄せたというのです。公式記録では大船渡市で38mという遡上高が最大となっていますが、実際はどうだったのでしょう?

実は、後日検証した人がいて、標高50mではなく25mの誤りだったようです(三好寿『津波のはなし』新日本出版社)


前兆現象の話も多く書かれています。鰯が異常な大漁だったとか、井戸水が枯れたとか。現在でも科学的に裏付けが取れていないのは残念です。


80年前は信じられていた「冬に大津波は来ない!?」

昭和三陸地震では、とんだ迷信が被害を大きくしたようです。
それは、「晴天と冬に大津波は来ない」というものです。

marukita_takata.jpg地震が起こった後、高齢者が「冬に津波は来ない」と言って寝るように諭しました。どうやらそれが犠牲者を増やした可能性があります。

大津波が迫る轟音に気づき、命からがら逃げた人たちの話、あるいは親と離ればなれになり、自分だけが助かって孤児となった話などが書かれています。
おそらく、過去何度か襲った大津波来襲時の天候や季節から、そのような言い伝えができてしまったのでしょう。

昭和三陸地震は、晴天時の放射冷却現象で最低気温が氷点下10度を下回る3月3日の未明に起こりました。そのため、凍死した人も大勢いたそうです。

marukita_takata2.jpg吉村氏が取材活動を行ったのは1970年頃で、この昭和三陸地震が起きてから30数年しか経っていなかったため、多くの津波経験者から話を聞くことができたようです。


一方、政府の支援を見ると現在とは違うことに気づきます。たとえば、家が全壊した人には、震災見舞金以外に「国産材の無料支給」という援助がありました。見舞金も比較的早期に支給されたようです。ただ、治安の悪化は問題になったようです。


津波の恐ろしさ

white250-450.gif明治、昭和の地震に共通するのは、三陸地方での震度はさほどでもなかったこと。震度3~5だったようです。しかし、大きな津波が押し寄せました。

東日本大震災では、震度6強以上の地域が三陸地方沿岸も含め広範囲に及ぶなど、揺れそのものも大変なものでした。そして、明治三陸地震を上回る規模の津波が記録され、大槌町、陸前高田市、女川町などは全人口の1割前後が死亡、行方不明となっています。

先日取材した地震学者の話だと、「地震発生直後に正確な津波警報は難しい」そうです。震源がどのような壊れ方をしたのか、ある程度わからないと津波規模が推定できないからだそうです。そのためには数十分の時間は必要ですが、それでは津波警報としては役に立ちません。


結局のところ、地震が起きたら海沿いに住んでいる方は「逃げるしかない」ようです。科学技術が進んだ21世紀の日本でも、100年前と基本的に変わってないのです。


※写真は本の表紙を除き、北海道住宅新聞4月5日号から転載した東日本大震災の写真

2011年07月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。