Column いえズーム コラム

バリアフリー住宅ライターが旅してわかった「困っている人を助ける」アメリカ市民の暮らし

バリアフリー先進国のひとつに数えられるアメリカ。仕事、新婚旅行、自転車放浪など様々なスタイルで幾度となくアメリカを旅して人々との交流を重ねるうち、この国のバリアフリーの進化を支える原動力が見えてきました。

障害者が自由に行き来するアメリカの町

まず2点の写真を見てください。
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〈日本ではプールテーブルで遊ぶ車いすの障害者を見たことがない〉

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〈ピザを食うのはいいけど、どうやって車いすを動かすのだマイケル?〉


テキサス州のフォートワースという街に住むマイケルという友人の写真なのですが、ひとつは馴染みのバーでビリヤードに興じている様子、もうひとつは近所のピザ屋で買ったピザを、いきなり食べながらウロウロしている様子です。

彼のSNSからは、ほぼ毎日こうした彼の日常が送られてきます。さりげない写真ですが、日本だと皆無と言わないまでも、とても珍しい光景ではないでしょうか。アメリカではこのように障害者が、自由に屋外を出歩いている風景に頻繁に出会います。

アメリカには1990年に施行された「ADA(障害をもつアメリカ人法)」という法律があります。公共施設や商業施設、交通機関などのバリアフリーが義務付らけれています。合衆国政府が定める基準に沿ったバリアフリーに適合しなければ、商業施設は営業できません。

ADAが定めているのはインフラに関することだけではありません。就労や生活その他、障害者の生活すべてにおいて人権が守られるということが明文化されています。

アメリカで障害者が自由に過ごせる背景に、ADAという法律が大きく影響していることは間違いなさそうですが、「法で定められているから」という単純な理由だけでもないことを、これまでの旅を通じてハッキリと確信し始めています。


バーに車イスで自由に出入りする

次の写真は2003年にアラスカで撮影したものです。
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〈ローカル酒場「フェアビュー」。生演奏で客の好きな曲がかかると、たちまちダンスが始まる〉

タルキートナという人口約800人の村にある「フェアビュー」というバーの様子です。タルキートナは小さな村ですが観光地です。我々が訪れた日は地元民やよそ者が混ざって大変な混雑だったことが写真でおわかりいただけると思います。

次に一緒に行った仲間たちの写真がありますが、背中を向け肩を組んでいる2人、カメラを構えている人物は車いすを使う障害者です。この日の我々のメンツの中には車いすの人が6~7人いたと記憶しています。
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混雑しているバーに車いすの人が自由に出入りできることが、自分には驚きでした。日本では予約でもしない限り、車いすの人がまとまった人数で自由に出入りできる飲食店は、とても稀でしょう。

日本に比べてアメリカは建物や道路のサイズが大きいぶん、バリアフリーにしやすいという利点があります。しかしそういった要素や、先ほど紹介したADAなどの法規制が、両国のバリアフリーの進捗度合いに差を付けているとは思えません。

日本でも1994年からハートビル法が施行されています。しかし、まだまだ障害者が行き来できる場所は限られています。アラスカの写真はADA施行から13年しか経っていない当時のものです。アラスカでの経験は、アメリカのバリアフリーの進化は法だけに裏付けられているのではない、と思える経験のひとつでした。

やや硬い話が長くなってしまったので、一服の清涼剤のような写真も入れておきます。
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再びマイケルの登場なのですが、フェアビューから出た直後、車いすから引きずり降ろされて女性に折檻されている様子です。

「環境や権利は保証するが、責任はすべて自分にある」「No Charity but a Chance」というのがADAの精神です。なぜ女性がマウントポジションを決めて激しくマイケルをシバいているのか理由は知りませんが、おおかたセクハラでもはたらいたのでしょう。ADAの精神そのままに、自分がしでかした不始末のツケはキッチリとマイケルに返ってきました。


「おせっかい」を超越したおばちゃんが宿を探してくれる

何がアメリカのバリアフリーを進化させてきたのか。残念ながらその点を明確に回答できるほどの経験や知識は、まだまだ自分には備わっていません。しかし、自分が遭遇した小さな体験の一つひとつは、その理由を物語っていると感じるのです。例えば次のエピソードです。

長い自転車旅の最中、オレゴン州のベンドという街を通過していたときのことです。ベンドは人口およそ8万人。街に入ってすぐの場所にあったショッピングモールの脇に自転車を止め、その日泊まる予定のモーテルの位置を地図で探していました。

すると、モールの駐車場から出ようとしていた車が止まり、おばちゃんが降りてきました。
「どうしたの?迷ったの?」と聞くおばちゃんに、そうではなくモーテルの場所を探していたことを説明しました。するとおばちゃん、おもむろに私が持っていた地図とペンを取り上げ、レクチャーし始めたのです。

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「ここは安いけどドラッグの売り買いが多いからダメ。ここはストリップ小屋の近くだから、ガラの悪い連中が多いしダメ」と言いながら、おばちゃんは次々と私の地図に書き込みを入れていきます。

ポートランドで入手した無料のガイドブックの地図なので、書き込みを入れられるのは問題ありませんでした。それよりおばちゃんの車が気になって仕方がありません。モールの駐車場の通路に止めっぱなしなのです。しかしおばちゃんはまったく気にしていません。

案の定、一台の車が出ようとしておばちゃんの車の後ろにソロソロと近づいてきました。ところが、その車の運転者はこちらの様子をチラ見すると進路を変更、クラクションも鳴らすことなく遠回りして車を出したのです。おばちゃんが迷える旅人に道を教えていると理解してくれたのでしょうが、その大らかさには驚きました。

そんなことは全く眼中にないおばちゃんはホテルの吟味を継続。私が探していたのは30$程度で泊まれる宿でした。しかしおばちゃんは100$ぐらいの宿に次々電話して「日本からわざわざ来てんのよっ!」と言いながら値下げ交渉してくれました。もちろん結果は全滅でしたが、最終的に決めた安宿にも電話を入れてくれ「ヤクの売人なんかいないでしょうね」などと確認してくれました。

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〈親切な女性・ベスと共に自撮り。「美人に撮りなさいよ」というセリフは万国共通〉

おばちゃんの名前はベス。決めたモーテルまでの道順を教えてくれた後、車でその場から走り去りました。自転車をこぎながら宿にたどり着くと、ベスが待っていてくれました。もし私が迷ったら、探しに来ようとしていたそうです。

自分と異なる人を受け入れる、困った人を助ける心

こうした思い出話はひとつやふたつではありません。それこそ山のようにあります。これまでアメリカを自転車で約3000kmを旅してきました。期間はトータルしておよそ2ヵ月間ですが、ほとんど毎日のように、こうした親切で温かい人に会うことができました。旅人はか弱い存在ですが、そういう存在を「放っておけない」と思う人が本当に多い国であると認識せずにはいられませんでした。

もちろん、そういった自分の経験だけで「アメリカは素晴らしい!」などと言い切る気は毛頭ありません。暴力、人種差別、格差といった影の部分が色濃い国であることは間違いありません。自分が旅の道中で得た経験も、いいものばかりではありません。もろに人種差別の罵声を浴びせかけられたり、言葉が不自由なことをからかわれたこと、危険な場面にも遭遇しました。

バリアフリーに関しても、決して完璧とは言えないでしょう。ここまで書いてきたことは、あくまでも両下肢麻痺で車いすを使っている障害者のためのバリアフリーについてです。すべての障害者が非障害者と同じように自由に過ごせる環境をつくるための課題は、アメリカにもたくさん見受けられます。そしてアメリカの場合傷痍軍人への配慮、つまり「戦争」がバリアフリー発展の背景にあることも事実です。

それでも、やっぱり「異なるものを理解する、受け入れる」、「困っている人を助ける」と考える人が実に多い国なんだということを、旅を通じて確信しています。アメリカにも様々な人がいますが、そういう国民性がなければ、バリアフリーが進化することもなかったはずです。

 

バリアフリー住宅に関する「札幌良い住宅」の記事はこちらにまとまっています。
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《プロフィール》

西村裕広(にしむらやすひろ)
障害者に関連するNGO職員などを経てフリーライターに。福祉や住宅、自転車など様々な分野で執筆。
住宅の分野ではバリアフリーが専門。これまで約120軒のバリアフリー住宅、約40軒の障害者・高齢者施設を取材。
アメリカへは福祉関連の視察のほか、障害者自転車レースのサポート、プライベートでの自転車旅などを経験。滞在日数はトータルで約100日。訪問した州はニューヨーク、コネチカット、アリゾナ、ハワイ、アラスカ、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ各州。自転車の旅はアラスカ、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ各州を跨ぎ、走行距離数約3000km。

2016年03月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。