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みんなで作った小さなわが家5 ありがとう!家づくりの仲間たち

 地鎮祭が終わるといよいよ家づくり本番となる。「そろそろ家の色を決めなくてはなりません」と建築家の奥村さんが微笑んだ。ついにこの時がやってきてしまった。色は家を左右する重要な要素だ(と私は思う)。この選択を間違えたりでもすれば、この先一生、「あ~、何でこんな色にしたんだろう」と思いながら、何十年も我慢しながら暮らさなくてはならない。そんなの絶対に嫌だ。

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注文住宅の場合、トイレットペーパーホルダーの色まで自分で決められるのが醍醐味であるのだが、施主にとって「色決め」は最大の悩みどころである(と私は思う)。形は実用的か装飾的かを求めるかによって、ある程度の判断基準があるものだが、色は住む者の感性でしかない。

<写真 鉱物好きの息子が拾った石やアンモナイトの化石までも那智石とともに土間コンクリートに埋めた>


 奥村さんの意味深な微笑みの裏には、風呂やトイレの色などなど、それまで数々の色決めでさんざん迷ってきた経緯があったからだ。そして、とうとう外観の色を決めなくてはならない日が来たという。わが家の外観はガルバリウム鋼板に一部下見板張りというプラン。下見板は「こげ茶」と決めていたが、ガルバリウムの色がなかなか決められずにいたのである。候補に挙がったのは、赤いレンガ色の「ブリック」とこげ茶の「ワインブラウン」。

 「ワインブラウン」はいい感じになるのは間違いないはず。しかし、バージニア・リー・バートンの絵本「ちいさいおうち」に出てくるような、赤い(ブリック)の家も捨てがたい。奥村さんも丸三ホクシン建設(以下、ホクシン建設)の首藤社長も「ワインブラウンがいいと思いますが...。まあ、山田さんが住む家ですからね」と言う。気持ちに余裕のない妻は「なんと薄情な!」と当時は少々腹立たしく思ったが、冷静になってみるとまったくその通りである。妻自身も、つまるところは自分で決めたいのである。

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 奥村さんと首藤社長は、外観の見本となる小さなカラーチップを二人掛かりで、外の太陽光に当ててみたり、遠くや近くに持っていってみたりと、どうにかイメージが湧くようにと見せてくれていたのだ。その前で眉間にしわを寄せ、考え込む女。よそから見たらかなり傲慢な客である。この人たちを「薄情」と呼ぶ方がよっぽどヒドイ。。。と今は思う。

 さんざん悩んだ挙句、住宅街の景観を重視して無難な「ワインブラウン」に落ち着く。結局、家づくり全般で冒険ができなかった小心者の私...。

<写真 いつも感心するほど綺麗な現場は気持ちがいい>

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 夫と言えば、最終的な費用(金)のことさえ決まればお役御免とばかりに他人事だ。この人が口を出したことといったら、金と床面積と窓のこと(これらには異常なほどの執着心を見せたくせに)。それ以外は「ほんとにいいんだな!」と決めたことを蒸し返すくらいの反応で、まったくの他人事であった。「後で文句を言うなよ」と妻。

 わが家の棟梁はホクシン建設の岡田さん。そして、大工の阿部さん(通称:阿部クン)と佐藤さん(通称:ヒデさん)膳亀さん(通称:亀ちゃん)。みなさん、(こういったら何ですが)強面だけれど、非常に仕事熱心(しかもやさしい)。現場はいつも綺麗だし、チームワークもよい。以前、首藤社長が「うちの大工は気持ちで家を建てる」と言っていたことが、仕事の様子ですぐに分かった。

 工場で裁断して運ばれてくる木材。何やら記号が書いてあるこの木材を、大工さんたちが組み立てていく。当然なことだが1本の木材から図面通りの家にどんどん出来上がっていくのは、なんとも感動的だ。「人の技ってすごい!」と思った。とても美しい。できれば1日中見ていたい気持ちだが、当然、邪魔になるだろうから、それはしないでおいた。しかし、あまりの楽しさに2日ごとに現場に行っていた妻。一緒に見ていた娘も「大工さんになりたい」と言い出した。

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<写真 建前ではホクシン建設さん仕切りのもと「もちまき」も行った。空には虹が!>


 建てている過程でも、変更やそれまで保留にしていた決定事項がいくつか出てくる。このような場合は、建築家の奥村さんと現場で打ち合わせを行う。このような時、大工さんからの助言はとても参考になる。岡田さんは、キッチンの換気扇の納め方や収納の仕上げ方など、今までの経験から仕上げの美しさや機能面などを考慮した提案をくれた。

 実際に形が見えて来ると、それまで他人事だった夫が「やっぱり、窓の数が足りない!」とまたまた乗り出してきた。そして、さらに長々と迷う始末。「その気持ち、分かりますよ。まだ手をつけないでおきますので、ゆっくり迷ってください(笑)」と岡田さん。お言葉に甘えて、現場に何度も足を運んで数日迷った夫。そんなこんなの状況にも、気持ちよく対応してくれる大工さんたち。彼らの仕事に対する姿勢には、自分の手掛ける家に対する誇りを感じる。彼らの姿勢は、私たちにとっても学ぶところが大きい。
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 自分も何か役立てることはないかと、妻はせめて喜んでもらえるような「差し入れ」を考える。結局、施主側ができることといったらこれしかない。大工さんが持参している缶コーヒーの銘柄などをチェックし、それぞれの嗜好を調査するが、これが意外と迷うもの。クーラーバックを回収するとき、中身が空になると、少し役に立てたようで嬉しかった。そのうちに今日は阿部さん向け、今日はヒデさん向け、亀ちゃん向けというように、だんだん楽しむ自分がいた。その後、ホクシン建設の大工さんたちに「嬉しい差し入れナンバー1」を聞き取り調査した結果、「無糖コーヒー」となった。(体を使う大工さんには「お甘いもの」とばかりに、加糖コーヒーばっかり差し入れしてました)

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<写真 外観全体。これが迷いに迷った「ワインブラウン」>


 2008年11月22日、着工から4ヶ月、予定通りの期日で小さなわが家が完成した。家が出来上がったことは、とても嬉しく思ったが、これで「家づくり」が終わってしまうかと思うと淋しい気持ちになった。鍵を受け取った時は、胸がいっぱいで何も話せない自分がいた。横を見ると夫も神妙な顔をしていた。奥村さんとはほぼ1年、ホクシン建設さんとはほぼ4ヶ月あまりのつき合いではあったが、縁あってチームとなったみんなが苦楽を共にした仲間のように思えた。それぞれの役割がうまく調和しあい、みんなの向いている方向がひとつになる結束感のようなものすら感じた1年であった。

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<写真 こだわったのはみんなが集まるキッチン。長さ約3mのダイニングは岡田さん作。塗装は私>

 雨の日、風の日、雪の日、山あり谷あり谷あり谷あり...の家づくりだが、ひょっとすると、家づくりに関わる人たちは、この完成の瞬間が忘れられなくて仕事をしているのではなかろうか。家づくりは素晴しい仕事だ!みんなが丁寧に作ってくれたこの小さなわが家を、私たちは永く大切にしていこうと誓った。


 この家に暮らして半年、日ごとに愛着がわいてくる。完成当初の新居は綺麗すぎて落ち着かなかったが、時間とともに馴染んでくる塗装や暮らしの匂いや傷が染み込んでいくたびに、不思議と「わが家」になっていく。暮らしやすさのためのカスタマイズも少しずつしながら、家が変化していくのはじつに楽しい。この「自分たちで仕上げていく家」は、建てる前の夫婦の夢でもあった。

「ありがとう!」

またいつか、今度は住み慣れたわが家で、家づくりの仲間たちと宴をしたいなと思う。
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<写真 家づくりのゆかいな仲間たち。完成祝いにわが家で宴を開きました>

■山田流「家づくり3つのすすめ」

家づくりを終えた今、「こうした方がよかった」ことも含め、これから家づくりをする人たちにおすすめのポイントを3つ挙げてみました。

1.家づくりの仲間を作ろう!
  家づくりの基盤は人にあると思います。困難や喜びを分かち合えるような人間的に信頼できる設計者や施工者の存在は大きい。不思議なもので、作ったモノは作った人の人となりを表すものだと思います。
2.専門家に下駄を預けよう!
  もちろん希望は最大限に伝えるべき。しかし、私たち素人よりも専門家は断然、経験と知識を持っています。希望はよりよい新たな形を生むかもしれないし、他の素晴しいアイデアを持っているかもしれません。たくさんのアイデアを出してもらえるようにこちらも間口を広げておいたほうがよい気がします。
3.プロセスを楽しもう!
家づくりのプロセスは家族最大の「イベント」だと思います。それは「結婚」や「出産」などと同じような人生においてのターニングポイントです。この長期にわたるイベントを思う存分に悩み、苦しみ、喜び、楽しめたとき、完成した家に対する思いには計り知れないものがあります。


2009年10月21日 奥村さんの訃報

2009年10月19日、建築家・奥村晃司さんが突然亡くなった。9日前、いつものやさしい笑顔でわが家の点検に来てくれたばかりだった。長い間、腎臓病をわずらっていたそうで、ちょうどわが家の家づくり期間に心臓への合併症も見つかっていたという。そんな中でも仕事に支障をきたしたことなど一度もなく、最後まで普段どおりの仕事をしていた。深夜まで及ぶプランの打ち合わせや度重なる図面の手直しも、嫌な顔をひとつも見せずにわが家のために最善を尽くしてくれた。享年44歳。彼の分身のような家で最愛の家族に囲まれて逝ったことが何よりの救いだ。「ぼくはまちの設計屋でありたい」そう語った彼の少年のように澄んだ瞳が思い返されてならない。揺るぎない理想の家づくりを貫いた、かっこいい家をつくるかっこいい人だった。


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2009年07月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。

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