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札幌で、実績・評判の良い工務店「株式会社建匠」

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札幌は「ポッと出」の住宅会社でも勝負できる商圏

Iezoom(いえズーム)の取材・編集を行っている北海道住宅新聞社は、住宅業界の専門紙として、住宅会社の取材を日々行っています。

取材活動の中で感じることの一つは「住宅業界は、商才があれば元大工、元営業マンなどが独立起業したとたんに新築工事を数棟もいきなり受注できる」という点です。特に札幌は新規参入企業が勝負しやすい業界だと思います。それは

札幌は196万人以上の大都市。住宅会社は1000社以上あり、近所付き合いも希薄なので口コミ情報が少ない。チラシや雑誌、ネット情報頼りになり、社歴の浅い住宅会社でも宣伝上手なら受注しやすい。

からです。また、家を建てたい人の傾向で、

家づくりを検討中の方は「子どもが小学校に入る前に」など、わりと短期間の情報収集で土地と住宅会社探しをする人が多く、住宅会社の実績や実力まで深く検討する暇がない。

という事情もあります。また、札幌圏は住宅会社数が多いため、差別化を目指して「新築」「リフォーム」「建売」「企画住宅」「ローコスト」など業務の範囲を限定した特化型の住宅会社が多い傾向もあります。

札幌には地域密着型「まちの工務店」はないの?

では札幌市内は、宣伝上手で、特化した住宅会社でなければ生き残れない市場なのでしょうか?

実は、数は少ないものの「口コミ」や「地域のご縁」で新築やリフォームの仕事を受注し、一度新築やリフォームで関わった後は、面倒見の良さ、丁寧な仕事ぶり、人柄の良さなどで顧客との信頼関係が長く続く、という昔ながらの地域密着型の「まちの工務店」も数件は存在します。

1957年、豊平町で創業した工務店「株式会社建匠」

1957(昭和32)年に、豊平町で創業した株式会社建匠(当時は溝江工務店)は、札幌では数少ない、地域の評判を大事にする「まちの工務店」です。(現在は清田区清田8条3丁目23-3に事務所移転)

創業当初は、豊平、月寒、白石エリアを中心に、地域の発展に伴って新築戸建て住宅を数多く手がけてきました。毎年新築工事の受注を続け、10年、20年と社歴を重ねるうちに、ОBの建て主様がどんどん増え、蛇口やボイラー、クロスの修繕、外壁や屋根のメンテナンスなどの依頼が少しずつ増えてきました。
 
そうなると、新築工事ばかりをしているわけにもいかず、ОBの建て主様のために、と営繕工事に多くの時間を使うようになり、いつしか新築工事より営繕、リフォームの工事の比率のほうが高くなりました。2020年現在は創業63年、地域の方々には、家のトラブルではすぐ駆け付けて良心的な対応をしてくれる「まちの工務店」として親しまれる存在に成長しました。現在は2代目の溝江一夫社長とともに、3代目社長候補の建築部長、山口征貴氏が中心となって会社を運営しています。

今回は建匠と長いお付き合いをしている2組の建て主さんにお話を伺いました。

札幌市北区新琴似・Kさまの声 



札幌市北区新琴似のK邸は、札幌市の人口がまだ90万人以下だった1967年(昭和42)年に建築されました。建て主は現在住んでいるKさまご夫妻の妻側のお父さん。現在は、娘さんご夫妻と、そのお子さん世代と、3代にわたって53年間住み継いでいます。

家を建てた経緯は?

Kさん 新築当時は、私はまだ20歳、短大生でした。父が家を建てたのは昭和42(1967)年です。私が子どもの頃過ごした新琴似神社の付近は、郵便局や新聞販売所など数件の建物しか無くて、新琴似4番通りは砂利道で馬車も通っていました。

親戚が溝江工務店(現在の株式会社建匠)で家を建てて、良い工務店だと紹介されて、父が溝江一郎さん(建匠の創業社長)に会ったところ、意気投合して新築を依頼することになりました。

溝江一郎さんと父が仲良くなって新築をお願いしましたが、2代目社長となる溝江一夫さんにも修繕やリフォームで大変お世話になりました。新築工事は、その後、2代目社長になる溝江一夫さんも現場で働いていたんですよ。

溝江一夫社長 当時私は大工見習で父や先輩大工に仕事を教わっていた時期です。私にとっては1棟目の新築工事ですし、よく覚えています。

営繕やリフォームも建匠で?

Kさん 母はボイラーの修理や蛇口パッキンの交換など、家の相談は、必ず溝江一夫社長に電話していました。いつも駆け付けてくれて…。その後もずっと建匠さんに家のメンテナンスをお願いしていました。



溝江一夫社長 この書類はK邸の点検、相談、メンテナンス、増改築などの全記録です。50年以上住み続けられるのは、建て主さまが定期的なメンテナンスを意識されているからです。

K邸は、昭和42(1967)年に172万円で新築。大卒の初任給が3万円くらいだった時代です。18年後の昭和60(1985)年に浴室をユニットバスに交換、台所の吊戸棚、物置移設修理などのリフォームを行っています。

Kさん 父は昭和60(1985)年12月に亡くなりましたが、亡くなる半年前に、お母さんが困らないようにと、気になる箇所をリフォームしたんです。父は、私には「母さんは身体が弱いから頼むな…」と言い残し、自分は家のリフォームをしてから亡くなりました。

その後私は嫁いで、この家を離れましたが、平成17(2005)年に、母と同居するために、夫とこの家をリフォームして再び住み始めました。

2005年のリフォームはどのような内容ですか?



溝江一夫社長 この写真が改修前です。



昭和30年代、40年代前半に建てられた家は断熱材がほとんど入っていません。この家も外壁にグラスウールが25ミリ程度入っていただけです。窓の断熱性能も低いし、耐震性能なども低い家でした。2005年のリフォームは、外壁や窓などもリフォームし、ドアやボイラーなどの改修も行いました。



Kさん リフォーム以前は、夜も暖房機を焚き続けていましたが、リフォーム後は夜は暖房を切っています。室内ドアを開けっぱなしにしてもどの部屋も暖かいので寒さを感じなくなりました。

どうして建匠にリフォームを依頼したんですか?

Kさん 札幌市内には、いろんなリフォーム会社がありますし、実際、営業にも来るんですが、私は建匠に頼むと決めていました。理由は社長や大工さん、関わっている人たちの人柄の良さです。

特にリフォームは、住みながらの改修工事が行われるので、家族が大工さんや職人さんと一緒に過ごす時間も長くなります。大工さんだけでなく、塗装、電気などいろんな業種の職人さんが家に入ります。工事の音や埃なども大変ですが、どんな人が自宅で作業するかという面で、同じ場所、時間を一緒に過ごすことになるので、職人さんの人柄って、意外と重要だと思います。

建匠さんは、溝江社長自身が真面目で誠実。若い頃は真剣さ、年齢を重ねるうちに温和さが増してきて、母も私も溝江社長の大ファンです。安心して家を任せられる社長です。

私は、リフォーム工事中は毎日、この家に住んでいる母のお世話と、工事の見学のために、数か月間、大工さんの車に乗せてもらってこの現場(K邸)に通いました。実際にリフォームをやってもらって実感しましたが、大工さんや職人さんもみんな人柄がよくて、溝江社長や職人さんとお話をしたりすることも含めて、工事中いつも楽しかったんです。

リフォームをどこかのリフォーム会社や工務店に発注する際、大工さんや職人さんを自由に選べるわけではありません。会社の社長や担当者さんの人柄、社風などを重視することで、リフォームがうまくいくかが決まるのではないかと思います。

現在は、溝江一夫社長の娘婿さんで、3代目社長候補の山口征貴部長が担当になってくれています。山口部長もとても誠実だし、工務店としても3代続いてくれると建て主の私たちは安心です。

札幌市豊平区Nさまの声



Nさん この家は昭和39(1964)年に新築された築56年の住宅です。築56年!住めるだけでも驚きですよね。



父が植えた庭木は今でも育っています。大きな公園も近所にあり、割と静かな住宅地です。昭和62(1987)年に、建匠さんに父がお風呂の修繕をお願いして以来、ずっと建匠さんにメンテナンスやリフォームをお願いするようになりました。

平成16年には外壁の張り替えに合わせて断熱改修、屋根の葺き替え、和室の改修などもしていただきました。



溝江一夫社長 外壁改修の前に床下もチェックしたところ、経年劣化や床下の湿気などにより、床を支える土台や大引きの腐食が進んでいました。



また平成26(2014)年には、一階の和室も改装しました。以前と同じように、腐食していた土台や大引を取り替えるとともに、地面からの湿気の影響を少しでも減らすために防湿処理をしました。



床下に断熱材(スタイロフォーム)30mmを敷き、さらにグラスウール200mmを敷き、床の断熱を強化しました。



壁が室内側に傾いていました。新たに下地を入れて垂直な内壁を造りました。壁断熱と防湿処理後に石膏ボードを貼りました。



床材は、キズに強い・ワックスなどが不要、など手入れがしやすい材料を採用。和室から洋室に造り替えました。



断熱性の高い、複層ガラスの樹脂製の内窓に取替えました。

リフォーム後の住み心地は?

Nさん 外壁工事の際はほとんど不便はありませんし、一階和室のリフォーム工事は住みながらで2週間くらい。外壁工事の際はほとんど不便はありませんし、室内の工事も、窓から建材の出し入れなどをして玄関を通らずに搬出入、職人さんの出入りをしてくれて。あまり負担を感じませんでした。

断熱改修してもらった後と前とでは暖かさが全然違いました。以前は一日中、暖房を焚きっぱなしでしたが、冬でも暖房を切る時間が増えました。配管、キッチンなどの交換もしてもらいました。エントランスはロードヒーティングも施工。除雪の負担が減って助かりました。

父がリフォームを発注したのは初代の溝江一郎さん。その後は2代目の溝江一夫社長、そして今では、何か困ったことがあったら山口部長にお電話したら、すぐ対応してくれます。

最近も、突然水道料金が急に高くなったことがあって、検針の方が「おかしいですね」というから山口部長に電話したら、診断に来てくれて、散水栓のバルブが劣化で水漏れしていたとわかってすぐ修理してくれました。困った時に相談できるのは安心です。



先代からの長いお付き合いで、大がかりなリフォームだけでなくて、家に関する小さなメンテナンス、修繕などもきめ細かく対応してくれること、そして一番ありがたいなと思うのは、リフォーム工事などを開始する前に、建匠さんは、ご近所さんにご挨拶をしてくれたり、工事中のマナー、気配りなどもちゃんとしてくれるんです。

工事は音が出る、工事車両が出入りするといったことはご近所同士でもお互い様だと思います。事前に挨拶をしてくれたり、周囲への気配りがあれば、皆さん快く受け止めてくれるので、そういった面をしっかり対応してくれる建匠さんは、安心できる存在なんです。

2組の建て主さんにお話を伺いました。最後に溝江一夫社長にも地域密着の工務店経営について、お話を伺いました。

創業社長のことを教えてください



創業社長は溝江一郎、私の父です。樺太で林業と漁師を仕事にしていました。稚内に移住し、私が小1までは稚内で漁師をしていましたが、ニシンが獲れなくなり、家族を養うために札幌に移住したのが昭和29年。父は親戚の工務店に入社し大工兼帳場をやっていました。昔の漁師は自宅を自分で建てたりもしていたので経験もありました。



父は現場が好きな大工でしたが、見積もりや図面も書けましたし、1957(昭和32)年には溝江工務店として独立、創業しました。最初は月寒東1条2丁目に事務所がありました。父の兄弟は大工が多くて、その力もあって住宅施工を数多く手がけました。ユニットバスや玄関ドアなど既製品がない時代ですから、大工の腕が良ければ仕事には困らない時代でした。札幌の発展に合わせ、新築需要もたくさんありました。

2代目社長、一夫さんのお話もお願いします

私は小学校1年生の頃、稚内小学校から豊平小学校に転校しました。まだ札幌市ではなく豊平町でした。住宅建設の現場が好きだったので父が大工仕事をやっているのもよく見て、現場で遊んだりしていました。10代の頃は現場でアルバイトをしてエレキギターを買ったりしていました。

私は星槎道都大学(当時は北海道産業短期大学)で建築を学びました。卒業後、東京の大きな建設会社に入社し、現場監督として公営住宅やマンションなどの現場監督になりました。鉄筋や鳶の職人さんたちと協力しあいながら現場を管理する役割です。建築のノウハウも学べましたが、職人さんたちとの付き合い方、マネジメントの面で得たものが大きいと思います。

その後、父の会社に戻りました。父は無口で職人気質。現場が好きなので社長業をしつつも現場仕事をかなりやっていました。母が経理面でしっかりしていたので会社が成り立っていたのではないかと思います。私は現場監督をしながら2級建築士の資格を取得し、社長業も少しずつ父に教わりました。平成4(1992)年ころ、父が会社経営のほぼ全てを私に任せるようになりました。

父の代は、札幌の人口も急拡大し住宅ブームにもなっていたので、新築工事の依頼がたくさんあり、職人も休みなく働いていました。そうするうちに、当社で家を建ててくれたOBさんが増えてきて、ボイラーやユニットバスの交換とか、建具や蛇口の修理など、営繕、リフォームの相談が徐々に増えてきたのです。

当初からまちの工務店として仕事をしていましたから、新築専業、リフォーム専業といった意識はありませんでした。ОBさんや紹介のお客様から新築だけでなく、修繕やリフォームの要望があれば、真面目にしっかり対応しようと思っているうちに、新築よりリフォームの仕事の比率が高い工務店になってきました。

父の時代にはなかった、断熱気密性能の強化も私の代での重点ポイントでした。住宅の省エネ性能を高め、家じゅうどこにいても暖かく快適な住まいづくりを実現できるようになりました。

リフォームに関しては、価格勝負のリフォーム会社なども増えてきて、当社のような工務店が行うリフォームと、価格勝負のリフォームの何が違うのか、一般の方にはなかなかわかってもらいにくい状況かもしれません。

築年数を経過した住まいのどこに問題が発生しているのか、しっかり調べ、建て主さまのためになるリフォームをご提案するので、問題点を見て見ぬふりをして表面的なお化粧リフォームを提案するリフォーム会社などには価格勝負では勝てない面もあります。



そのかわり、長持ちする、住み心地の良い家づくり、リフォームを行うことで評価されたいと思っています。

過去に新築、リフォーム、営繕などで取引させていただいたお客様との工事の内容などはしっかり記録を残し、50年、100年と安心して住み続けられる適切な営繕、リフォームなどができるように心がけています。

父が私に会社を引き継いだのと同じく、私も山口部長にうまく会社をバトンタッチして、ОBさんの住まいづくり、メンテナンスをしっかり受け継ぐことと、この時代にあった工務店を山口部長の力で作り上げてほしいと思っています。

住まいのお困りごと 電話相談窓口 開設

建匠は2021年5月7日(金)から「住まいのお困りごと 電話相談窓口」を開設しました。
相談員は人柄のいい経験豊富な2人。
この道50年で増改築相談員の資格を持つ溝江一夫さんと、一級建築士で宅地建物取引士の山口征貴(まさき)さんが、電話で悩みや相談を聞くから安心。
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2020年09月現在の情報です。詳細は各社公式サイト・電話等でご確認ください。

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